コラム「みんなの医療制度」 その28

「完璧」求めると一歩も進まず−死因究明制度が立ち往生

 医療安全調査委員会(調査委、仮称)の設置を柱に、新たな死因究明制度を創設しようとの機運に暗雲が立ちこめてきました。核になる医療界は総論賛成なのですが、各論の調整がもたつき、このままでは何も前進しないまま立ち枯れ、という事態になりかねません。「完璧」を求め過ぎるのは現実的ではないでしょう。

 厚生労働省は、調査委の設置を盛り込んだ関係法案を今通常国会に提出することも視野に入れていますが、6月15日の会期末まで1カ月を切ったいまの状況ではほぼ絶望的です。今のところ会期は延長されないという情報(最終的にどうなるか分かりませんが…)が有力で、国会の審議に乗るのは早くても秋の臨時国会と思われます。

 法案が提出される大前提として、法曹界、医療界、患者団体などの関係者の間で一定のコンセンサスを得ておく必要があります。法曹界や患者団体は受け入れる方針ですが、医療界には依然、慎重な意見も少なくありません。

 法案の骨子となる厚労省の最新の試案(第3次試案)は、医療機関で@医療過誤の疑いのある死亡A行った医療に起因した(疑いを含む)死亡で、死亡を予期しなかった−事故が発生した場合、医療機関の管理者の判断で調査委に届け出ることが必要になります。一方でこの届け出を行った場合は、現行の医師法に定められている24時間以内の警察への届け出は不要になります。

 届け出を受けた調査委では、事故ごとに調査チームを設置し、解剖やカルテの調査などを通じて、報告書をまとめます。その際、事故の隠ぺいなど悪質な事例があれば、警察に通報します。実際に調査をするのは地方ブロックごとの委員会で、国に設置する中央委員会は、再発防止策の提言などをする役割を担います。

●医療界に慎重論も

 これに対し、医師会や学会はどんな反応を示しているのでしょうか。

 当初から議論に参加している日本医師会は、真正面から反対できるわけがなく、基本的には賛成の立場です。都道府県医師会を対象にした調査でも、約8割が調査委の創設を含む厚労省案に賛成の意向を示しています。ただ、調査委を創設するべきではないと答えた医師会も7つありました。

 学会に目を移してみると、日本内科学会と日本外科学会は賛成で、試案に沿った制度の確立に全面的に協力する考えです。また、修正前の厚労省案に反対していた日本産科婦人科学会は、調査委への届け出の対象となる医療事故の定義には議論の余地があるとしながらも、基本的な枠組みは支持する見解を表明しています。

 一方、日本麻酔科学会は報告書の内容がそのまま捜査機関に流れ、黙秘権などが確保できなくなることなどを理由に、試案の修正を求めています。日本救急医学会も事故の届け出が義務化されれば、多くの医師が救急医療から撤退することが強く懸念されると苦言を呈しています。

 病院団体ですが、民間の中小病院を中心にした全日本病院協会が慎重な姿勢を示しています。医療事故の原因究明・再発防止につなげる医療安全の確保と、医療事故の過失調査や有責判断を1つの組織(調査委)で行うことは矛盾すると指摘し、調査委の機能は医療安全の確保だけにとどめ、過失調査や有責判断はするべきではないと訴えています。

 分かりやすくいえば、医療過誤が判明した場合に、調査委から警察に通報される仕組みが残る以上、当事者から真実を聞き出すことはできず、結局は医療安全の確保にもつながらなくなるという論旨です。また、医療機関の対応に不満を抱いた患者が警察に駆け込めば、捜査をせざる得ない状況にも懸念を示しています。

●ADR文化の醸成を

 医療界の慎重派の主張はいうなれば、だれが見ても殺人というような分かりやすいケースを除き、医療行為が刑事処分に問われる可能性が残ることは納得がいかない、ということに帰結します。

 医療は、もともと身体的なリスクを抱える患者を救うための行為です。そりゃ人間のやることなので、ときには失敗することもあるでしょう。その可能性をひっくるめての医療行為であるのに、万が一、失敗した場合に逮捕されてしまうのなら何もしないほうがマシだ、というわけです。

 確かに分からなくはないですが、医師に対する畏敬の念が失われつつあるいまの日本の風土で、業務上過失致死傷罪の対象から医療行為を取り除くという作業は非常に困難でしょう。医療者に対する敬意から、医師を刑事訴訟に問う文化がない欧州の国々とは明らかに事情が異なります。こうした国々では、医療をめぐるトラブルはほとんど、裁判以外の紛争処理(ADR)で決着しています。

 内科学会の幹部は「医療側の反対で(新たな死因究明の仕組みを)制度化できなければ、(警察への異状死の届け出を義務付けた医師法21条に基づく)現行法制下での対応が続くことになる。国民の医療に対する信頼もますます失うことになる」と話しています。それに、政治環境がめまぐるしく変化するなか、今回を逃せば、またいつ議論できるか分かりません。

 まずは、調査委の設置を通じて、司法に頼らないADRの文化、ひいては医療従事者に対する理解の気持ちを育んでいくのが早道ではないでしょうか。


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